太陽と青空の下で

ご主人様の空を自由に羽搏くわたし(従者)─ご主人様への気持ちや従者としての日常を綴ります

打算


プレーに重点を置いたSさんやMさんならともかく…主従や、まぁ恋愛でも<関係>に重きを置く人の場合
「幸せになりたい」
と、その相手を探すのは、何か違うんじゃないかなぁと。

あ、結果的には
「幸せになりたい」
だと思うんです。
ただ、そこに打算が入るというか、そのために相手に何かを求めるというのはどうなのかなぁ..と。

相手に「こうして欲しい」と求めるより、自分がどうしたいか..だと思うんです。
つまり、受動態ではなく能動態。


わたしはご主人様と出会って
「この方に傅きたい」
と思いました。
そして今は
「この方に笑顔でいて欲しい」
という望みだけがあります。
そのためには何だってしたいです。

足下に置いていただけるだけで幸せ。
でもご主人様はわたしに、この身に余るほどの愛情を注いで下さいます。
だからひとつひとつに数倍にもなる幸せを感じています。

これが
「幸せになりたい(幸せにして)」
だったら。
嬉しいこともすぐに当たり前になってしまって、せっかく頂戴した<いいもの>もぽろぽろ取りこぼしてしまうでしょう。

そして自分で勝手に
「与えられて当然」
と思い込んでいるものが得られず、或いは、与えてもらっているのにも気づかず、不満から破綻していく…そういうこともあるかもしれません。


人が人を想う最初の気持ちは
「この人と一緒にいたい」
でしょう?
そんな単純な想いだけでいいと思うんです。


イメージ 1