太陽と青空の下で

ご主人様の空を自由に羽搏くわたし(従者)─ご主人様への気持ちや従者としての日常を綴ります

主従のかたち


ひばりと共有する時間こそが、私が関係の中で求めるものだ

そして、
いつも自由にそらを飛び回るその姿こそ、私の求める従の姿
だから、首輪や鎖や檻や籠ではなく
飛ぶための翼だけを与えた

そこに私の思う支配があり、私とひばりの関係がある ─



昨日、ご主人様がご自身のブログにこんなことを書いて下さったのが嬉しく、それからご主人様との今までのあれこれに思いを巡らせていました。


ご主人様も本文中に書かれていたのですが、この世界でこういう発言をすると
「それって主従ではないでしょ」
という批判を受けがちです。

過去には
「ちゃんと支配してやらんから、お相手が泣きついてきたぞ」
なんて馬鹿げた嘘でコーティングした批判(というよりただの嫌がらせ)をされたこともあります。

わたしの勝手な私見ですが…
こういう「よそはよそ、うちはうち」とスルーできないような人って
「支配とはかくあるべき」
なんて自分の持論や<支配>という言葉そのものに縛られているような気がします。

わたし(従)自身の気持ちから発生するものを主として受け取って下さるご主人様は、なにものにも縛られることなく自由であらせられます。

わたしに何かなさるのも、わたしを構って下さるのも、その自由な中でのご主人様のご意思によるものです。
というには過分に構っていただいていますが、ご主人様は
「私がそうしたかったからな」
と言って下さいます。


普段のご主人様は、気さくにフラットに接して下さいます。
はたから見れば恋人のように見えるかもしれません。

わたしたちの本当の関係を知らない(言えない)コーチはきっと、わたしが話したまま「(ゴルフの)師弟関係」だと信じて疑っていないと思います。
…もっとも、わたしが「◯◯さん」(ご主人様)のことを話すときの熱のこもった目を見れば、わたしのご主人様への気持ちはバレバレでしょうが(笑


一見恋人のように見えるご主人様とわたしは「主従関係」の中で共依存する存在です。

前にご主人様と「依存」というテーマでお話ししたことがあって
「ご主人様の存在なくして、わたしという人間は完成しません」
と申し上げたら
「(お前の)依存ではなく、共依存だな」
と言って下さいました。


本来なら、どんなに理不尽なことに思える振る舞いを受けても付き従うのが従者なのですが、ご主人様は、まるでご自分の一部のように大切に扱って下さいます。

それははたから見れば主従のように見えなくとも、ご主人様とわたしにとっては、かけがえのない関係であるのです。


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