太陽と青空の下で

ご主人様の空を自由に羽搏くわたし(従者)─ご主人様への気持ちや従者としての日常を綴ります

行為 ─その2


D&Sの..というよりご主人様とわたしの間で行われる行為については過去にいくつか書いたのですが、最後にもう少し…。
今までに書いたものと重複も多々ありますが、ご了承下さい。


D&S(支配と服従)という嗜好は、S&M(加虐と被虐)の行為そのものに直結する嗜好とは違い、<「主」と「従」という関係性>に拠るものです。

行為(調教)は、その<関係性>を確認するためのものなので、内容に決まりはありません。
主が相手(従)をどう扱うか、その思惑次第ですね。
海外のサイトを見てもS&M的な行為が多いように見受けられますが、別に苦痛を与える行為でなくても、「頭を撫でる」ようなことから、人によってはスカトロジーあたりまで行っちゃうこともあるでしょう。

要は、(繰り返しになりますが)「<主>と<従>がお互いにその関係を確認するための行為」はすべて、D&Sの行為として間違いではないのです。


ご主人様はわたしに対して、S&M的な行為をなさいます。
縛って下さることもありますが、主にご自身の手をお使いになります。

余談ですが─
わたしはマゾヒストではないので、苦痛を性的快感に直接は変換できません。
ですが、サブミッシブなので、その苦痛が「ご主人様から与えられているもの」という意識により、ほとんどの(そのときの精神的なコンディションによるようです)苦痛が快感になります。

─話を戻して…。

先日ご主人様に、頂戴する行為について
「何故ですか?」
とおききしてみました。
ご主人様のお答えは
「おまえに…おまえの身体にも心にも脳にも、私自身の手で私を刻み込みたいから」
でした。

その後アップされたご主人様のブログにはこう綴られていました。

いつも言っている
「雲雀だからこそ」

そこに私の行為に対する
意味も目的も存在する。

話しかける
話に耳を傾ける
表情を見る
触れる
一緒に歩く
一緒に食べる

これが私の考える行為であり
全てにおいて
「雲雀と」と言う言葉が付く。

勿論、叩くことも縛ることもする

叩いた時の手の痛みと
そこに伝わる雲雀の感触

縛る時に感じる
雲雀の呼吸と表情。

何故叩く、何故縛る

痣や跡が私が与えた証となり
形としても存在を感じる事が出来る
と言う理由もあるが
雲雀の存在を五感で感じる事が出来るから行う
だから私にとっても意味がある行為

そして行為の先にある
精神的な部分を支配する。
私と言う存在を雲雀の全てに刻むように。


ご主人様はわたしにご自身(存在)をお与えになりながらわたしをお感じになり、わたしはご主人様を感じながらご主人様の中に「わたし」という存在を残しているのです。

「行為は手段であって目的ではない」
そして、主従にとって、相手を感じる(想う)時間に何ひとつ意味のないことなんてないのです。


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*関連記事

「行為」
https://blogs.yahoo.co.jp/mk_kouketsu/38117998.html
「D&Sという性的嗜好
https://blogs.yahoo.co.jp/mk_kouketsu/37446161.html