◯◯きどり(エスエムとディーエス)
わたしは便宜上「エム」としていますが、実際には<マゾヒスト(被虐嗜好)>ではなく<サブミッシブ(被支配嗜好)>です。
ご主人様も、<サディスト(嗜虐嗜好)>ではなく<ドミナント(支配嗜好)>です。
…って、ここで幾度となく書いていますが(笑
<主従=エスエム>とお考えの方も多いかと思いますが、そもそもは別個のものです。
ほら、、エスエムって、苦痛の授受が各々の快感に繋がる性的嗜好なわけで。
それ自体には<主従>とはまったく関係がないですよね?
<エスエム=主従>、あるいは、<主従=エスエム>というイメージが何故定着したのかは実際には謎ですが。
ともかく、そういった物理的な刺激が性的な快感になるのがエスエムに対し、ディーエスは「支配している」「従属している」という謂わば精神的なことが性的快感に繋がる性嗜好なわけです。
他のエム女性とお話ししていると、話が噛み合わないことがあります。
嗜好の<核>となる部分が根本的に違いますから。
また、持って生まれたものなので、共通の<概念>とも云うべきものが内にないと理解されなかったり、共感すらしてもらえなかったりしますよね。
まぁ、ディーエスの場合は、エスエムでも<主従>という形態の方が多いので、「まったく理解されない」ということはないのですが。
わたし自身もご主人様と出会うまではエム女としてエス男性と主従関係にありましたし。
ただ─結局のところ、エスエムだのディーエスだのといった普遍的なファイリングは、あまり意味のないことだとも考えます。
はっきり断定・区別できるラインがない以上、誰かにとっての<ホンモノ>は、別の誰かにとっての<ニセモノ>かもしれませんから。
要は、自分がホンモノだと思う人・合う人と繋がればいいだけの話です。
そういうわたし自身も、あくまで<自称>です。自称サブミッシブ。
だって、ここで自分を証明することなんてできませんから、これをお読みになった誰かがわたしのことを
「エム女もどき」
と思えば、その人にとってはそうなんでしょう。それでいいと思います。
ご主人様にとってのわたしがホンモノであればいいんです。