太陽と青空の下で

ご主人様の空を自由に羽搏くわたし(従者)─ご主人様への気持ちや従者としての日常を綴ります

SMとDS (エチカ)

わたしが一方(DS)に属していることから、SMとDSの違いを語ると、稀に
「そんなにDSが偉いのか(SMを蔑視するのか)」
といった解釈をされることがあります。

当然、そんなことはまったくありません。

まぁ、SMとDSの違いとして
「SMは物理的な部分での嗜好、DSは関係性という精神的な部分での嗜好」
とお話ししているので、
「SMだって精神的な繋がりはある!」
と思われてもおかしくないかもしれません。
そう誤解されるのはわたしの文章力に問題があるのでしょう。


ゆきずりのセックスならともかく、SMでは相手への信頼は必須です。
というか、危険な行為の多いSMにおいて信頼していない相手に身体を預ける..なんてことは有り得ないでしょう。

信頼感だけでなく、それ以上の情愛があっても何も不思議じゃない。

それも前提としてお話ししています。


一方で、わたしは現在
「SM(DS)とはこうあるべき」
というSM(DS)論を持ちません。
正直に言うと、ご主人様のものになる前にはありましたが。

逆に、わたしの立場でそういうものを持つということは、従者であるはずのわたしがご主人様をその枠に押し込めることに他なりません。

考えるのはご主人様のお仕事。
わたしにとっては
「ご主人様が仰ることが正しい」
のであり、ついていくだけなのです。


世のゴシュジンサマやSさんと同じ数の考え方や理想があって当然だと考えます。

誰が正しくて誰がおかしいというのではなく。

社会のルールやマナーに反することなく、また、双方が納得してのことなら、どういう在り方であっても間違いではないと思うのです。

 

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