太陽と青空の下で

ご主人様の空を自由に羽搏くわたし(従者)─ご主人様への気持ちや従者としての日常を綴ります

主従のかたち


前にも書きましたが、ご主人様は、ご調教の場以外では
「~しなさい」
とは決して仰いません。

わたしが考えるスタイル、わたしのペースでお仕えすることを、お許し下さっています。
また、そんなわたしに、否定的なご指摘をなさったこともありません。

わたしは完全に自由な状態で、ご主人様の足下に居させていただいています。


ご主人様は毎日必ず、お忙しい合間を縫って、沢山のメールをくださいます。
タイミングを見計らって、「少しでも」とお電話をくださいます。
そうしてわたしをご覧になり、必要だと思われたら何らかのケアもしてくださいます。
常に気に掛けていただいていると感じます。

途轍もなく手間をかけて下さっていると思いますが、それも
「お前と話していると癒される」「話ができて嬉しい」
と言ってくださいます。


ふとしたことがきっかけで
「『お仕えする』ってどういうことだろう」
と思い悩みました。

ご主人様から与えていただいているものは大きすぎて、わたしのような者(従者)には「お返しする(できる)」とは思えません。というより、卑小なわたしがそんなことを考えること自体、おこがましく感じます。

ましてや、「ご主人様にご満足いただけることがわたしの喜び」なので、そのために努力することはあっても、それは自分のためであるわけで。

「では、『お仕えする』ってどういうこと?」
「従者としてわたしはどうあるべき?」
と考えるに至ったわけです。


本当なら自分自身で考えるべきことだったのですが…ご主人様にお話ししてみました。

ご主人様はこう仰いました。
「何も頑張る必要はない」
「ありのままの姿で私の足下に居るお前を見ることが、私の充足に繋がる」
と。

更に、こう言って下さいました。
「私は、従者を作り上げるつもりはない。大切に育てていきたいのだ」

それをお聞きして、自分の中にあった、固定観念のような<歪な何か>が崩れたような気がしました。


今までこの世界で、実に様々な人を見てきましたが、本当に、主従のかたちって人それぞれだなぁと思います。

一切の縛りもない完全な自由意思でご主人様に傅くわたし。
そんなわたしをご覧になり、その言動のひとつひとつに「嬉しい」「幸せだ」と言って下さるご主人様。
だからわたしは、何ひとつ萎縮することなく、卑屈になることもなく、自分を肯定していけるのだと感じました。

改めて、ご主人様への感謝の気持ちとともに。


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